
10月7日はピアニスト、ユンディ・リの誕生日(1982年生まれ)。
ショパン・コンクールでの伝説的な優勝から、スキャンダルによる沈黙、そして復活へ。
まるでショパンの人生そのもののような、波瀾の軌跡をたどってみたい。
■ショパン・コンクールが生んだ“ピアノ王子”
2000年、ワルシャワ。
第14回ショパン国際ピアノコンクールで、当時18歳のユンディ・リは中国人として初めて優勝した。
しかも、1990年・1995年と2大会連続で「1位該当者なし」だったため、
彼の優勝は10年ぶりに“1位”が誕生した大会という歴史的快挙でもあった。
あのときの「バラード第1番」は、まさに衝撃だった。
繊細さと情熱が渦巻くその演奏に、審査員の一人は「ショパンが蘇った」と評したほど。
■ショパン・コンクールの功罪
ショパン・コンクールは、若き天才を一夜にしてスターダムに押し上げる。
だが同時に、「ショパン弾き」というレッテルも貼る。
ユンディ自身もこう語っていた。
「ショパンは私の人生そのもの。でも、私にはもっと広い音楽の世界がある。」
その言葉の通り、彼はベートーヴェンやリストへと広げていったが、
周囲の期待はいつまでも“ショパンの王子”。
そのギャップが、彼の精神を少しずつ蝕んでいったのかもしれない。
■栄光から転落へ──スキャンダルと沈黙
2021年、衝撃のニュースが世界を駆け抜けた。
ユンディが「買春容疑」で拘束されたと報じられたのだ。
SNSから彼の名は削除され、コンサートは全て中止。
かつて世界を魅了したピアノ王子は、一夜にして沈黙した。
法的な是非は別として、
“完璧”を求められ続けた人生に、我々には想像もできない重圧があっただろう。
ショパン・コンクールの金メダルが、いつしか心の枷になっていたのかもしれない。
■復活の兆し──再びピアノの前へ
2023年ごろから、ユンディは少しずつステージに戻り始めた。
ヨーロッパ各地でのリサイタル、そしてYouTube公式チャンネルでの配信も再開。
そこには、かつての華やかさよりも、静かな成熟が宿っている。
技巧のきらめきの中にも、どこか翳(かげ)を感じさせる音。
そこにこそ、彼が“戻ってきた”証がある。
■コヨーテのまとめ
ユンディ・リの人生は、一曲のショパンのようだ。
華やかに始まり、激情に飲まれ、そして静寂の中に帰っていく。
彼の復活が本物かどうかは、まだ誰にも分からない。
だが、挫折を経て再びピアノに向かう姿には、
若き日の輝きとは違う“人間としての深み”が滲んでいる。
ショパンが残した言葉を借りれば──
「悲しみの中にこそ、美しさがある」
その言葉を、今のユンディが静かに体現しているように思う。
 
  
  
  
  
