正直、コヨーテはジョニ・ミッチェルについては後追いだった。
フォークの人というイメージが強すぎて「真面目で、内省的で、ちょっと近寄りがたい」みたいな偏見があった。
でも「Blue」を聴いたときに、その先入観はあっさり砕けた。
「全然イメージと違うじゃん!」
きれいなポップソングじゃない。
美化された恋愛でもない。
生身のまま、呼吸と一緒に感情が出ている音。
「歌わないと前に進めない人が歌っている」
そういう強さと弱さが同時にある。
ジョニは、時期によって作風が大きく変わる。
それは「時代に合わせる」でも「逆張り」でもない。
「自分が変わるなら音楽も変わる。それだけ」だ。
その姿勢が、今聴いても新鮮に響く理由だと思う。
「Ladies of the Canyon」(1970)
早い段階で世界の見え方が出来上がっていた時期
まだフォークの枠にありながら、
すでに「外の景色を自分の角度で描き直す」感覚がはっきりある。
「Big Yellow Taxi」
明るい曲調に見せかけて、内容は都市開発や自然破壊への批判。
「失ってから気づく」という人間の弱さを、軽やかに歌う。
怒りを笑いの中に仕込む、ジョニらしい手つき。
「The Circle Game」
人生は直線ではなく、円を描くように進んでいく。
同じところに戻ってきたように見えて、でも同じ自分ではない。
若い時は「やさしい歌」、年齢を重ねると「刺さる歌」になる。
「Blue」(1971)
心の生音。説明のいらない一枚
このアルバムは「自分を隠さない」という決意だと思う。
弱さがそのまま歌になっている。
「River」
逃げたい気持ちを、言い訳せずにそのまま置く歌。
冬の空気の冷たさ。きれいなのに、痛い。
静かな曲なのに、強い。
聴く側の心の状態によって、響く場所が変わる。
そういう「生き物みたいな曲」が入っているアルバム。
「Court and Spark」(1974)
都会の空気と、少しの余裕
ここで、一気にジャズやフュージョンへ踏み出す。
街の夜、会話、湿った空気。
フォークシンガーの枠から完全に解放される。
「Help Me」
軽やかに聴こえるのに、恋の揺れがしっかり入っている。
「Blue」で抱えていた痛みを、少し距離を置いて眺められるようになった時期の歌。
「Hejira(逃避行)」(1976)
旅の途中にいる人のための音楽
移動の中で生まれたアルバム。
落ち着く場所も、決めつける言葉もない。
「Hejira」
ジャコ・パストリアスのベースは「下支え」ではなく「心の揺れ」。
言い切らない、まとめない、途中にいる自分を許している歌。
結局、ジョニ・ミッチェルは何を教えてくれるのか
「人は揺れていい」ということだと思う。
考えが変わってもいい。
昨日信じていたものを、今日は手放したっていい。
変わるのは弱さじゃなくて、生きている証拠。
ジョニは、その揺れを「そのまま」歌った人だ。
だから古びない。
時代が変わっても、ちゃんと心に届く。
そのままでいい。揺れながら進めばいい。

