8月27日 ― ブライアン・エプスタインの命日

「育ての親」という凡庸な言葉では片付かない、その人間臭い真実


8月27日は、ビートルズを世界の頂点に押し上げたマネージャー、ブライアン・エプスタインの命日。
よく言われる「彼の死から空中分解が始まった」という定説は確かに正しい。だが、それだけでは薄っぺらい。
ここでは、知る人ぞ知るエピソードから“生身のエプスタイン”を見てみたい。

① サヴォイルームの夜とジョンとの関係


1963年、ロンドン進出を果たしたばかりの頃。エプスタインはジョン・レノンを休暇に連れてスペインへ行く直前、サヴォイ・ホテルで一晩語り合った。
その場でエプスタインは「君のそばにいたい」と思いを吐露。ジョンは「構わないさ。ビジネスはビジネスだ」と受け流した。
以降、二人の関係は奇妙な均衡を保ち、エプスタインのマネジメントは契約以上に、人間的な駆け引きに根ざしていった。

② グッズ契約の大失敗 ― 誠実だがビジネス音痴


人気絶頂の頃、エプスタインはアメリカで不利な条件のグッズ契約を結んでしまい、収益の大半を外部に持っていかれた。
後年ポールは「ブライアンは誠実だったが、商才には穴があった」と語っている。
人柄でバンドを守ろうとした姿勢が、同時に彼の限界でもあった。

③ フレダ・ケリーのファンレター処理


秘書のフレダ・ケリーは10代でファンクラブ業務を担い、深夜まで手紙の返事を書き続けた。自宅は何千通もの手紙で埋まり、家族が悲鳴を上げるほど。
エプスタインは彼女を気遣い、オフィスを住所に使わせた。派手な舞台裏で、こうした献身を尊重したのがエプスタインだった。

④ 最期の日曜と「マジカル・ミステリー・ツアー」


1967年8月27日、エプスタインは自宅で薬物と酒の過剰摂取により亡くなった。
同じ夜、ビートルズは「マジカル・ミステリー・ツアー」の話し合いをしていた。
マネージャーを失った瞬間に、彼らはセルフマネジメントへ踏み出していたのだ。皮肉にも、彼の死が“自立の合図”となった。

エプスタインと響き合う一曲


《Baby, You’re a Rich Man》。
「金持ちのお前も結局は孤独なんだろ」という歌詞は、裕福さと孤独を抱えたエプスタインの姿に重なる。死の直前に録音されたこの曲は、彼への鎮魂歌のように響く。

終わりに 


エプスタインは「育ての親」と呼ばれるが、実際にはもっと不器用で、もっと人間臭かった。
弱さを抱えながらジョンに寄り添い、商売下手でも誠実を貫き、裏方の汗を尊重し、最後にはバンドの“自立”を結果的に後押しする。
そしてビートルズは、その幸運と同時に、彼の死という取り返しのつかない悲劇も背負うことになった。
つまり――ブライアン・エプスタインという存在は、バンドにとって“贈り物であり呪い”でもあったのだ。