
2025年9月9日 21:04
9月9日は坂本慎太郎の誕生日。1967年生まれ、今年で58歳。
最初に耳にしたのは、渋谷陽一のラジオ「サウンドストリート」だったろうか。
ハードなサウンドに乗せた意外とポップなメロディ、そこに居心地の悪さがまとわりつく。妙にクセになるあの感じは、今振り返っても他に代わりがない。
ゆらゆら帝国という衝撃
90年代〜2000年代にかけて活動した「ゆらゆら帝国」。
ガレージロックの轟音に日本語の不可思議な響きを載せるスタイルは、オルタナでもサイケでも説明しきれない。
90年代半ば、邦楽ロックはブリットポップやUSオルタナの影響を色濃く受けたバンドが目立っていた。そんな中で突如現れたゆらゆら帝国は、まるで異物のようだった。リフはひたすら反復、歌詞は意味があるようでない断片の連なり。ハードに歪んだギターが轟くのに、そこに載るメロディは妙にポップ。聴き手は「かっこいい」のか「不気味」なのか判断できず、その曖昧な居心地の悪さに飲み込まれていった。
• 『3×3×3』(1998)
粗削りながら、サイケ・ガレージの爆発力に満ちた作品。中でも「発光体」は、疾走感のあるリフと不可思議な歌詞が噛み合い、混沌の中に突き抜ける光のように響く。
• 『ミーのカー』(1999)
より幅広いリスナーを意識したように見せつつ、やはり異常なテンションで突き抜ける一枚。表題曲「ミーのカー」の疾走感と毒気のブレンドは、ライブでも観客を一気にトランス状態に持っていった。
• 『ゆらゆら帝国のしびれ』(2003)
タイトル通り、陶酔感に満ちたアルバム。反復のリフと歌が際限なく絡み合う「夜行性の生き物3匹」は、聴くうちに日常と非日常の境界が揺らぎ、気づけば逃げ場を失っている。
• 『空洞です』(2007)
最終作にして到達点。ノイズの隙間に漂う静けさと、淡々と繰り返される言葉の魔力。表題曲「空洞です」は、ひたすら虚無を唱えるようでいて、その虚無感自体が強烈な存在感を持ち、バンドの終焉を象徴するかのようだった。
ゆらゆら帝国の音楽は、ジャンルに簡単に回収できない。パンクでもサイケでもオルタナでもありながら、どれにも完全には収まらない。だからこそ、一度触れたら抜け出せない“奇妙な磁力”を放っていた。
ライブでの凄さ
レコードでの不穏さは、ライブではさらに増幅された。
大音量と反復リフの洪水、ステージ上の坂本の無機質な佇まい。観客は陶酔と疲労の境界線で揺さぶられ、「音に飲み込まれる」という表現がそのまま体験として迫ってきた。実際に体感した人は、その熱を何年も語り継ぐ。これもまた、ゆら帝が唯一無二と呼ばれる理由だ。
ソロになってからの坂本慎太郎
2010年にバンドを解散したあと、沈黙を経て2011年にソロ活動をスタート。
• 『幻とのつきあい方』(2011)
メロウでポップ、それでいてどこか屈折したソロの幕開け。
• 『ナマで踊ろう』(2014)
グルーヴィーなリズムに変貌し、海外のファンも急増。
• 『できれば愛を』(2016)
耳に残る言葉と淡々とした歌声が、日常の裏側を照らす。
近年は海外レーベルからもリリースされ、欧米のフェス出演やツアーで高い評価を得ている。日本語の歌詞を武器にしながら、グローバルに聴かれる稀有な存在だ。
今なお「孤高」のポップ職人
坂本慎太郎の魅力は、前衛性と大衆性を奇妙なバランスで併せ持つこと。
ゆらゆら帝国で築いた「不穏な快感」を、ソロではより洗練されたポップスとして届ける。
気がつけば時代も周囲のシーンも変わったが、彼だけは変わらないスピードで自分の音を紡ぎ続けている。
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👤 コヨーテのひとこと
最近のJ-ROCKに、彼のようにアヴァンギャルドとポップを自在に行き来できるアーティストはほとんど見当たらない。だからこそ、時々ふと彼の作品に戻りたくなる。坂本慎太郎の音楽は、心地よい違和感という贅沢なスパイスなんです。
 
  
  
  
  
