グレッグ・レイクという声と存在


グレッグ・レイクという存在感について

11/10はグレッグ・レイクの誕生日。

プログレッシブ・ロックが世界をざわつかせた1970年前後。その中心に、あの声があった。
キング・クリムゾンの『In the Court of the Crimson King』──これはただのアルバムではなく、時代を「終わらせた」作品だった。

ビートルズ『Abbey Road』をチャート1位から引きずり下ろしたという事実は象徴的だった。
60年代ロックの「終幕」と、70年代ロックの「幕開け」。荒涼とした世界観と、あの禍々しいジャケットとともに、歴史に刻まれた事件だった。

グレッグのボーカルは、時に攻撃的で、時に叙情的。冷たく研ぎ澄まされたロバート・フリップのギターのなかで、彼の声だけが「人の体温」を保っていた。
その緊張感が、このアルバムを唯一無二にしている。

キング・クリムゾンでの3曲〜キング・クリムゾン時代に生まれた「緊張と叙情」の声

21st Century Schizoid Man

冒頭でいきなり世界が崩れる。
サックスとギターが暴れ狂うなかで、グレッグの歌は歪み、叫びへと変わる。
「人間が機械に食われていく時代」をそのまま音に変換した曲。
この破壊の音は、プログレの「始まり」の音でもあった。

Epitaph

反転する叙情。
メロトロンが重く空気を押しつぶす。そのなかでグレッグの声は、絶望に飲まれきらず、どこかで「生きたい」と訴えている。
「運命は誰にも語れない」という一節が、この時代の痛みと不安を鮮明にしている。

The Court of the Crimson King

儀式のような荘厳さ。
ファンタジーでも寓話でもない。現実の裏側にある「見たくないもの」がそのまま音楽になっている曲。
メロトロンの洪水に呑まれそうになっても、グレッグの歌は迷わない。
「時代は変わってしまった」と言い切る強さがある。

ELP時代から1曲〜ELPで見せた“堂々とした歌の強さ”

Lucky Man

ELPは超絶技巧バンドという印象が強いが、この曲にはそれとは別の顔がある。
肩の力が抜けた、静かな美しさ。
シンセ・ソロが未来に向かって伸びていくようで、後のプログレの道筋を決定づけたと言っていい。

人となりと、なぜ転々としたのか

グレッグは根っこが誠実で、仲間を尊重するタイプだった。
ただし「音楽を理念や政治で濁らせること」をとことん嫌った。

キング・クリムゾン時代、フリップは音楽をどんどん抽象化し、バンドという「共同体」を超えていこうとしていた。
対してグレッグは「歌の重心」を大事にしていた。そこが埋まらなくなり、距離は開いた。

ELPでは、天才エマーソンの自己表現と、カール・パーマーの鋭さが前に出すぎることがあった。
グレッグはそのバランスをとる役割を背負い、消耗したとも言われる。

どのバンドにいても、彼は「歌」を捨てなかった。
技巧と概念が暴走しがちなプログレの中で「人の心臓の鼓動」を響かせ続けた人だった。

おわりに〜結局、彼が残したものは「声」そのものだった

キング・クリムゾンは時代を塗り替えた。
ELPは音楽の限界を押し広げた。
でも、その真ん中で「人間の声」を響かせていたのは、グレッグ・レイクだった。

彼の歌声は、いま聴いてもまったく古びない。
むしろ、置き去りにされたのは僕らの方だとすら思う。