
小6コヨーテの「最初のロック」
8月30日は井上陽水の誕生日。77歳。
コヨーテが初めて買ったLPレコードは『Good Pages』──ポリドールがフォーライフ設立後に、陽水の意向を無視して出した真っ白いベスト盤。小6の僕はそれを擦り切れるほど聴き込みました。
「拓郎より断然、陽水」。それが僕にとっての最初のロックの洗礼でした。
1975年の年間アルバムランキングでは、陽水のアルバムがトップ10に4枚ランクイン。当時は日本のビートルズのような存在感だったのです。
アルバムで聴くロック陽水
フォークの枠を壊し、日本語ロックを切り拓いたのがこの時期。アルバム単位で聴くと、陽水のロック感がはっきり出ています。
• 『氷の世界』(1973)
日本初のミリオンセラーアルバム。「氷の世界」「帰れない二人」を収録。鋭い言葉とタイトなバンドサウンドで、日本語ロックの扉を開いた。
• 『二色の独楽』(1974)
実験精神が炸裂。「夕立」のプログレッシブな構成は、日本ロック史に残るべき一曲。
• 『招待状のないショー』(1976)
都市の孤独を描いたアルバム。「青空、ひとりきり」の洗練とバンドアンサンブルの厚みで、シティとロックの境界を飛び越えた。
• 『スニーカーダンサー』(1979)
都会的で実験的なサウンドに満ちた作品。「なぜか上海」「海へ来なさい」は、サイケ感とロックの躍動を兼ね備えた異色の名曲。
このサウンドを支えていたのが、アレンジャーの星勝。彼の緻密でロック色の強いアレンジが、陽水の歌詞とメロディを時代の最先端に押し上げていた。
清志郎との共鳴
そして忘れてはいけないのが、忌野清志郎との関係。
共作「帰れない二人」は、漂う哀愁と毒を同居させた傑作。清志郎は陽水を「雲の上の存在」と呼びながらも、互いに刺激を与え合った。孤高同士が交差する稲妻のような関係だった。
民生とパフィで遊んだロック
90年代、陽水は若い世代と絡みながらロックの牙を研ぎ直しました。
• 奥田民生とのコラボ(「ありがとう」など)
ユーモアと皮肉を同居させる民生と、余裕たっぷりに乗っかる陽水。世代を超えたロックの共犯関係。
• パフィのプロデュース
「アジアの純真」をはじめ、子どもでも口ずさめるメロディの裏に、陽水らしい言葉遊びとロックの毒を仕込んだ。大衆の真ん中でニヤリと笑う陽水は、やっぱりロックンロール。
円熟と反骨、そして現在
2000年代に放った**「最後のニュース」**は、冷戦後の世界や情報洪水を皮肉たっぷりに描いた社会派ロックソング。20年以上経った今もSNS時代に刺さる。
さらに同時期の**「少年時代」**は、郷愁を帯びながらも浮遊感あるアレンジで、ロックの美学をまとった名曲。
Rockなんですよ、陽水は
ジャンルで切り分ければ「フォーク」や「シンガーソングライター」と言われるでしょう。でも僕にとって陽水はずっとロック。
アルバムで実験を繰り返し、後輩を挑発し、大衆の真ん中で遊び、時代を皮肉に切り取る──その生き方自体がロックなんです。77歳になってもなお。