TOTOの中核を担ったドラマー、ジェフ・ポーカロの遺産

8月5日は、ジェフ・ポーカロの命日。
1954年生まれ、1992年にわずか38歳でこの世を去った彼は、TOTOの音楽を根っこから支えていた中心人物であり、70〜80年代のロック界で最も影響力のあるドラマーの一人でした。

「産業ロック」じゃ語りきれないTOTOの音楽性


TOTOはよく、「スタジオミュージシャンの寄せ集め」「産業ロック」なんて言われることがあります。確かに、彼らは洗練されたサウンドとプロダクションで、商業的な成功を手にしていました。でもそれは、決して音楽的な妥協の結果ではありません。

むしろ、彼らの音楽には高い技術と情熱が詰まっていました。
中でもジェフ・ポーカロの存在は、TOTOに同時代のバンド――たとえばジャーニーやフォリナー――にはない、独自の魅力と奥行きを与えていました。

ポーカロの凄さが光る名曲たち


『TOTO』(1978)- 「Hold the Line」
記念すべきデビュー曲。24歳のポーカロが、一発録りでドラムを決めたという伝説付き。基本に忠実なのに、どこか新鮮で、創造的。プロデューサー陣も「もうこれで完璧」と追加テイクを録らなかったそうです。


『Hydra』(1979)- 「99」
変拍子が使われているけど、テクニックをひけらかす感じはなし。むしろ、全体の流れに自然に溶け込んでいます。ポーカロはメンバーと何時間もアレンジを話し合い、楽曲の全体像を理解しながら叩いていたそう。まさに“聴くドラマー”。



『Turn Back』(1981)- 「Goodbye Elenore」
テクニカルなのに、しっかり感情に寄り添ったドラム。複雑なフィルインと安定感のあるグルーヴが同居していて、聴いていてゾクッときます。



『TOTO IV』(1982)- 「Rosanna」
シャッフルビートの名曲。ゴーストノートや絶妙なアクセントが随所に散りばめられていて、後世のドラマーに与えた影響は計り知れません。もはや教科書。

セッションドラマーとしてのもうひとつの顔


TOTOのメンバーとして活躍する一方で、ポーカロはロサンゼルスの音楽シーンで引っ張りだこのセッションドラマーでもありました。

ラリー・カールトンと組んだときは、ジャズフュージョンとロックのいいとこ取りみたいな演奏を披露。スティーリー・ダンの『Aja』や『Gaucho』では、超完璧主義なフェイゲン&ベッカーの期待に応える超絶タイトなプレイを聴かせてくれました。

ボズ・スキャッグスの『Silk Degrees』では、グルーヴの芯をがっちりキープ。クラプトンとのセッションでは、ブルースロックに洗練された空気を吹き込んでいます。マイケル・マクドナルドと組んだときは、ソウルフルなリズムで彼の歌をしっかり支えました。

ジャンルやスタイルを問わず、どんなアーティストの楽曲にもピタリと寄り添える――そんな「共演者にとって理想のドラマー」だったんです。TOTOでの幅広い音楽性も、こうしたセッションでの経験があってこそなのかもしれません。

早すぎた別れ、でも音楽は生きている


1992年8月5日、ジェフ・ポーカロは心臓発作により38歳でこの世を去りました。音楽界にとっても、TOTOにとっても、その喪失は本当に大きなものでした。

ロックの世界には短命だった天才ドラマーが何人かいます。ジョン・ボーナム、キース・ムーン、そしてジェフ・ポーカロ。彼らの共通点は、ドラムをただのリズム楽器にとどめず、「表現の手段」として極めたところ。

ジェフ・ポーカロの命日である8月5日。
あらためて、彼が残してくれた音楽に耳を傾けてみてください。そしてその音の中に、彼の誠実さ、情熱、そして深い音楽愛を感じ取ってもらえたら嬉しいです。

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