クラシックはじめの一歩――まずは一曲、聴いてみませんか

夕暮れの街角ピアノの演奏に、通行人が静かに足を止めている様子

クラシックは「勉強」ではなく「出会い」

若い頃からロックばかり聴いてきた。

ビートルズ、ニール・ヤング、キング・クリムゾン、プリンス……。私のライブラリは、そんな音楽で埋まっている。

クラシックは嫌いではなかった。でも、自分から積極的に聴こうと思ったことは、ほとんどなかった。

そんな私がクラシックに興味を持った一番のきっかけは、息子がピアノを始めたことだ。

もともと妻はピアノを弾いていたので、家の中にクラシックが流れることはあった。しかし、習い事の一つだったはずのピアノに、息子はどんどんのめり込んでいった。

発表会やコンクールへ足を運ぶことが増え、ショパンやベートーヴェン、ラフマニノフを耳にする機会も自然と多くなった。

そして息子は、本当にピアニストになった。

不思議なもので、それと歩調を合わせるように、私自身もクラシックを日常的に聴くようになっていた。今では朝の通勤でショパンやドビュッシーを流すことも珍しくない。

二十代の自分に話したら、おそらく信じないだろう。

でも、音楽の趣味というのは変わるというより、増えていくものなのかもしれない。

街角ピアノが教えてくれたこと

街角ピアノの前で、思わず立ち止まったことはありませんか。

駅や商業施設の片隅に置かれた一台のピアノ。誰かが静かに座り、弾き始める。

名前も知らない人なのに、その数分間だけ空気が少し変わる。演奏が終わると自然に拍手が起き、弾いた人は少し照れくさそうに席を立つ。

そんな光景を見るたびに思う。

クラシックって、案外身近な音楽なんだな、と。

テレビや映画の中だけの世界でも、格式高いコンサートホールだけの音楽でもない。駅の片隅にも、街の広場にも、誰かの日常の中にも、ちゃんと生きている音楽だ。

最初の一歩は、アニメからでもいい

「クラシックを聴いてみたい」

そう思っても、最初の一歩は意外と難しい。

ベートーヴェン? ショパン? モーツァルト?

何から聴けばいいのか分からない。そんなときは、アニメを入口にするのも悪くない。

『のだめカンタービレ』や『四月は君の嘘』をきっかけに、クラシックを好きになった人は少なくないはずだ。あの作品が、多くの人にクラシックへの扉を開いたことは間違いないと思う。

もちろん、作品を知らなくても大丈夫。

「この曲、どこかで聴いたことがある」

そんな一曲から始めれば十分だ。クラシックは知識があって楽しむ音楽ではなく、好きになってから少しずつ知っていく音楽なのだから。

クラシック入門に、まずはこの6曲

ここでは、私が「クラシックはじめの一歩」におすすめしたい6曲を紹介したい。

難しいことは考えなくていい。全部を聴く必要もない。

まずは一曲。コーヒーでも飲みながら、ゆっくり聴いてみてください。

ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第14番《月光》」

クラシックの中でも、もっとも有名なピアノ曲の一つ。『のだめカンタービレ』『四月は君の嘘』などでも印象的に使われた。

第1楽章は静かで幻想的だ。夜、部屋の照明を少し落として聴くと、その美しさがよく分かる。気に入ったら、荒々しい第3楽章まで続けて聴いてみてほしい。同じ曲とは思えないほど表情が変わる。

演奏家はヴィルヘルム・ケンプやエミール・ギレリスが探しやすい。おすすめ盤は、ケンプの『ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番《月光》、第17番《テンペスト》、第23番《熱情》』。

ショパン「バラード第1番 ト短調 Op.23」

『四月は君の嘘』をきっかけに、この曲を知った人も多いだろう。

静かな語りかけのように始まり、少しずつ熱を帯び、最後は圧倒的なエネルギーで駆け抜けていく。10分ほどの曲だが、一つの物語を読み終えたような気持ちになる。

ショパンというと「ノクターン」や「別れの曲」が有名だが、もし一曲だけ選ぶなら、私はこの曲を薦めたい。

演奏家はクリスチャン・ツィメルマンとマルタ・アルゲリッチ。おすすめ盤は、ツィメルマンの『ショパン:バラード全曲、舟歌、幻想曲』。初めてでも流れを追いやすく、曲の世界にすっと入っていける。

ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.18」

『のだめカンタービレ』を見た人には、おなじみの一曲かもしれない。

ロシア音楽らしいスケールの大きさと、どこか切ない美しい旋律が魅力だ。「協奏曲」と聞くと難しそうだが、映画音楽のようにドラマチックなので、意外と親しみやすい。

全曲は30分を超える。最初から身構えず、まずは第2楽章だけでもいい。

演奏家はヴラディーミル・アシュケナージやエフゲニー・キーシン。おすすめ盤は、アシュケナージ、アンドレ・プレヴィン指揮、ロンドン交響楽団による録音だ。ピアノとオーケストラが一緒に大きな波をつくっていく。

ドビュッシー「月の光」

この曲を嫌いな人はいないのではないかと思う。

『四月は君の嘘』でも印象的に使われた名曲だ。夜、部屋の明かりを少し落として聴くだけで、いつもの景色が少し変わる。

クラシック初心者におすすめするピアノ曲を一つ、と聞かれたら、まず頭に浮かぶのがこの曲だ。

演奏家はパスカル・ロジェやアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ。おすすめ盤は、ロジェの『ドビュッシー:月の光&ピアノ作品集』。やわらかな響きで、朝にも夜にもよく似合う。

モーツァルト「きらきら星変奏曲」

「あの『きらきら星』?」と思うかもしれない。

その通り。

誰もが知っているメロディーが、モーツァルトの手によって次々と表情を変えていく。クラシックは難しいというイメージを、一番気持ちよく裏切ってくれる作品だ。

ここでは演奏家による違いを比べるより、まず知っている旋律がどう変わっていくかを楽しんでほしい。マリア・ジョアン・ピリスやイングリット・ヘブラーの演奏が見つけやすい。おすすめ盤は、ピリスの『モーツァルト:ピアノ作品集』。

サン=サーンス「序奏とロンド・カプリチオーソ」

ヴァイオリンって、こんなに格好いい楽器だったのか。

そう思わせてくれる一曲だ。

『四月は君の嘘』でも知られる作品で、静かな緊張感から始まり、やがて華やかに駆け出していく。ピアノ曲を中心に聴いてきた人にも、弦楽器の魅力に触れてみてほしい。

演奏家はイツァーク・パールマンや諏訪内晶子。おすすめ盤は、パールマン、ズービン・メータ指揮、ニューヨーク・フィルハーモニックによる『サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ、ハバネラほか』。約9分の中に、ヴァイオリンの歌と速さが詰まっている。

クラシックはホールだけの音楽じゃない

クラシックのコンサートと聞くと、少し身構えてしまう。

服装はどうすればいいのか。どこで拍手をすればいいのか。そんなことを考えているうちに、足が遠のいてしまう人もいるだろう。

でも実際には、もっと気軽に楽しめる演奏会がたくさんある。

図書館、市民ホール、デパートのイベントスペース、ホテルのロビー、学校、お寺……。そうした場所で開かれる小さなコンサートは、演奏者との距離も近く、クラシックをぐっと身近に感じさせてくれる。

私が特に好きなのが、「100万人のクラシックライブ」という活動だ。

プロの演奏家が街へ出向き、年間を通じて各地で小さなライブを開いている。大きなホールへ出かけるのが難しい人のもとへも音楽を届け、演奏家と聴き手が言葉を交わせる距離でクラシックを楽しむ。

一曲ごとに演奏家が少し話をしてくれるのもいい。曲の背景を全部覚えなくても、「次はこんな曲です」と聞くだけで、音楽がこちらへ近づいてくる。

「クラシックをホールから街へ」

そんな考え方が、とても好きだ。

クラシックは特別な日にだけ聴く音楽ではない。仕事帰りに立ち寄った場所でも、休日に歩く商店街でも出会える。演奏者の指が動く音、息づかい、弦や空気の震え。それはCDや配信とはまた違う。

近くで開催されることがあれば、ぜひ一度足を運んでみてほしい。

知らない一曲との出会いは、案外そんなところに待っている。

おわりに

息子がピアノを始めていなければ、私は今でもロックばかり聴いていたかもしれない。

でも今では、朝の通勤でショパンやドビュッシーを流すことも珍しくない。

ロックが好きだから、クラシックは聴かない。

そんなことは全然なかった。

この記事で紹介した6曲も、全部を聴く必要はない。気になった一曲だけでいい。

その一曲が、十年後、二十年後も聴き続ける大切な一曲になるかもしれない。もしこの記事が、そんな「クラシックはじめの一歩」になれたなら、とてもうれしい。

音楽の趣味は、変わるのではなく、増えていくものなのだと思う。