面白いドラマほど「答え」を教えてくれない〜「豊臣兄弟!」について思うこと〜

毎週日曜夜8時、大河ドラマ「豊臣兄弟!」を見るのが習慣になっている。

大河ドラマを見ながら、日本酒をちびちびやるのが今いちばんの楽しみだ。

でも正直に言うと、「豊臣兄弟!」はいまひとつのめり込めない。

もちろん、時代考証がどうとか、史実と違うとか、そんな話ではない。

気になっているのは、もっと根本的な「脚本」のことだ。

物語は作者だけでは完成しない

私は、文学でもドラマでも、作者が書き上げた時点では半分しか完成していないと思っている。

残り半分は、読者や視聴者が考え、想像し、自分なりに意味付けすることで完成する。

「あの人物は本当は何を考えていたんだろう。」

「あの一言には別の意味があったのでは?」

そんなことを考えている時間も、作品を楽しむ一部だ。

「豊臣兄弟!」は親切すぎる?

ところが「豊臣兄弟!」は、その答えをかなり丁寧に説明してくれる。

人物の感情も、行動の理由も、とても分かりやすい。

もちろん、それは悪いことではない。

でも、その分「自分で考える余白」が少ないように感じる。

だから見終わったあとに、「あれはどういう意味だったんだろう」と考える時間が、あまり残らない。

最近の大河は「余白」が面白かった

「あの場面って、こういうこと?」

「いや、私はこう思う。」

そんな解釈が次々と生まれていた。

そして私の中では、やはり「鎌倉殿の13人」の最終回が忘れられない。

あれほど複雑で、人によって受け止め方が変わるラストは、大河ドラマでも珍しかった。

見終わってからもしばらく考え続けた。

ああいう作品は強い。

役者さんも、もっと輝ける気がする

もう一つ思うのは、役者さんたちが少しもったいないこと。

仲野太賀さんをはじめ、本当に魅力的な俳優が揃っている。

それなのに脚本が答えを示し過ぎることで、自分なりの解釈を膨らませる余地が少なく見えてしまう。

例えば菅田将暉さん。

「鎌倉殿の13人」の義経は、「天才」「危うい」「子どもっぽい」「狂気を秘めている」など、見る人によって印象が違った。

だからこそ、あれだけ強烈だった。

今回も素晴らしい演技だけれど、もっと化ける余地があったのではないかと思ってしまう。

だからこそ後半に期待したい

もちろん、八津弘幸さんを批判したいわけではない。

むしろ実力のある脚本家だと思っている。

戦国時代は、日本人なら誰もが大まかな結末を知っている。

その中で新しさを出すのは、本当に難しいはずだ。

だからこそ、あえて分かりやすく整理したのかもしれない。

まだ物語は途中。

これから登場人物たちが「答え」ではなく「問い」を抱え始めたら、このドラマはもっと面白くなる気がする。

そんな期待を込めて、今週も日曜8時を楽しみに待ちたい。