長い、重い、暑苦しい。
ベートーヴェンを聴くと、そう言いたくなることがある。偉大なのは分かる。でも、こちらが気軽に聴き流したい日にも、音楽のほうが簡単には引き下がってくれない。
それなのに、聴き終わると何かが残る。きれいなメロディを楽しんだ、というだけでは片づかない。音楽を聴きながら、こちらまで考え込んでしまう。
「だいたいこの人が、クラシックをややこしくした」。私には、そんな言い方がしっくりくる。もちろん音楽史を一人の功績だけで説明できるわけではない。それでも、この人を通ると、その前と後の音楽が違う表情を見せ始める。
今回は、私が入口に選びたい5曲と、その先に待っている後期作品を紹介したい。
お行儀のよい音楽だけでは、収まらなくなった
ハイドンやモーツァルトにも、驚きや激しさはある。彼らの音楽を「きれいで穏やか」とだけ言ってしまうのは、さすがに乱暴だ。
その伝統を受け継ぎながら、ベートーヴェンは、短い音型を徹底的に展開したり、曲全体の規模を広げたりした。聴いていると、感情だけでなく、何かを考え抜こうとする力まで音になっているように感じる。
古典派か、ロマン派か。線を一本引いて分類するより、古典派の形式を内側から押し広げ、後のロマン派へつながる道を開いた人、と考えると聴きやすいと思う。私の言葉なら「古典派の中から、次の時代の扉を蹴り開けた人」だ。
5位:ピアノ・ソナタ第14番《月光》——静かな入口の先にあるもの
最初から速く華やかに始まらず、ゆっくりとした第1楽章から入る。聴き慣れた曲でも、ソナタ全体の入口として捉え直すと、不思議な始まり方だ。
ただし、《月光》を静かな曲だと思ったまま、そこで止めないでほしい。短い第2楽章を挟んで、第3楽章では激しい音楽が待っている。最初の静けさも、最後まで聴くと違って感じられる。
私が選びたいのはヴィルヘルム・ケンプの演奏。まずは第1楽章だけでもいい。気になったら、その先まで聴いてみる。
参考演奏:ケンプ:《月光》ほか
4位:交響曲第5番《運命》——あの4音だけで、どこまで行くのか
あの有名な冒頭の音型。聴きたいのは、そこから先だ。
短い材料が、形を変え、場所を変え、何度も現れる。新しいメロディを次々に並べる面白さとは違う。同じものを使いながら、音楽が前へ進んでいく。そのしつこさが、私は嫌いではない。
全曲が長く感じられるなら、まず第1楽章で、冒頭の音型がどう姿を変えるか追ってみたい。カルロス・クライバー指揮、ウィーン・フィルの録音は、私が入口に選びたい演奏の一つだ。
参考演奏:クライバー/ウィーン・フィル:交響曲第5番
3位:交響曲第3番《英雄》——交響曲が大きな物語になる
長い。ほんとに長い。
でも、その長さは単に曲を引き延ばしたものではない。第1楽章の大きな展開、第2楽章の葬送行進曲、その先の動き。四つの楽章を通ると、聴き手もずいぶん遠くまで連れていかれる。
私には、交響曲が「人の生き方」を語り始めたように聴こえる。ただし、誰かの人生をそのまま描いた曲だという意味ではない。それだけの規模と重さを、音楽の中で感じるということだ。
レナード・バーンスタイン指揮、ウィーン・フィルの演奏を挙げたい。最初から全体を理解しようとせず、まず第1楽章の勢いに身を任せるのもいい。
参考演奏:バーンスタイン/ウィーン・フィル:《英雄》
2位:ピアノ・ソナタ第23番《熱情》——静けさから、突然火がつく
静かに始まったと思ったら、突然キレる。落ち着かない。
そう言いたくなる曲だが、激しい音ばかりではない。静かなところと、急に力が噴き出すところがある。その差が大きいから、聴いているこちらも気を抜けない。
ピアノ一台なのに、ずいぶん大きな音楽に感じる。速さや音量だけを追うより、静けさがどう次の激しさにつながるか聴くと面白い。
ここはヴィルヘルム・バックハウス。私には、音楽の骨格を見失わずに聴ける演奏だ。
参考演奏:バックハウス:《熱情》第3楽章
1位:交響曲第9番《合唱》——最後に、人の声まで入ってくる
やりすぎ代表、と言いたくなる。
三つの楽章を経て、終楽章で独唱と合唱が加わる。シラーの詩による「歓喜」の歌が、交響曲の中に現れる。よく知られたメロディだけを聴くのと、そこへたどり着くまでを通して聴くのでは、受け取るものが違う。
ここでは、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、1951年のバイロイトでの演奏を選びたい。録音の新しさより、その演奏を聴きたいときがある。
年末だけの音楽にしておくのは、もったいない。とはいえ、いきなり全曲を聴くのが大変なら、終楽章から入り、あとで前の楽章へ戻ってもいいと思う。
参考演奏:フルトヴェングラー:交響曲第9番(1951年バイロイト)
ピアノ・ソナタは、バックハウスを私の基準に
ベートーヴェンのソナタを聴くとき、私にはバックハウスが一つの基準になる。
ドラマを盛らない。悟り顔もしない。でも骨格が崩れない。これは演奏についての私の印象だが、感情の強さに引っ張られすぎず、曲がどこへ進んでいるのかを聴ける気がする。
もちろん、ほかの演奏を聴かなくていいという話ではない。基準を一つ持っていると、別の演奏との違いも楽しめる。速さ、音の重さ、間の取り方。同じ作品なのに、ずいぶん違う顔になる。
その先にある、後期ベートーヴェン
ここまでの5曲から、もう少し先へ行きたくなったら、後期作品を聴いてみたい。
弦楽四重奏曲第14番 作品131
七つの楽章を切れ目なく進む構成で、最初は静かなフーガから始まる。四人の弦楽器による音楽なのに、ずいぶん広い世界がある。
旋律を一つ覚えて楽しむというより、音が受け渡され、音楽の景色が変わるのを追う感じだ。私には「未来の音楽が混ざっている」と言いたくなる作品。ブダペスト弦楽四重奏団の演奏を選びたい。
参考演奏:ブダペスト弦楽四重奏団:作品131 第4楽章
ピアノ・ソナタ第30〜32番
最後の三つのソナタでは、激しさだけでは説明できない時間が流れる。特に第32番の最後の楽章は、同じ主題が変奏されていくうちに、時間の感覚まで変わるように感じる。
もう「難しい曲を理解しよう」と構えなくてもいいのかもしれない。分からないところを分からないまま聴いていて、ふと音楽に引き込まれる瞬間がある。
ここでも私は、まずバックハウスに戻ってくる。
参考演奏:バックハウス:ピアノ・ソナタ第30番
疲れるけど、残るから
ベートーヴェンには、重くて、正直しんどいと感じる曲がある。でも、気軽に楽しめる曲も、静かに寄り添う音楽もある。一人の作曲家を「苦悩の偉人」だけにしてしまうのは、もったいない。
そのうえで、今回選んだ少し重たい曲に腰を据えて向き合うと、ほかのクラシックまで違う表情を見せ始める。私にとって、ベートーヴェンを聴く面白さはそこにある。
第九じゃなくてもいい。まずは一曲、気になったものから。
——疲れるけど、残るから。
作品情報・参考資料
作品の構成などは以下の資料を参照。演奏の評価と聴き心地は筆者の感想です。なお、生年月日は確定しておらず、確認できる記録は1770年12月17日の洗礼です。一般に誕生日とされる12月16日には、記録上の不確かさがある。
